大判例

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大阪地方裁判所 昭和44年(レ)136号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕そこで以下、本件建物の所有関係について考察すると、<証拠>を総合すれば、次の事実を認めることができる。

控訴人の養母橘信光は、和泉市平井町所在の真言宗縫漢寺住職であつた橘導真の妻で、昭和二八年頃導真が死亡した後同寺の住職を継ぎ、昭和三四年に控訴人に住職の地位を譲つて控訴人と同居していたが、同人はもともと不動尊に祈祷してお伺いを立て、そのお告げを伝える行者であつて、平素不動尊を信仰すること厚く、夫導真の彫刻した不動明王像を自己の持仏として羅漢寺の庫裡の一室に安置し、導真の存命中から、他人の求めに応じ祈祷の行を羅漢寺の寺務とは別個に行なつていた。かくするうち、信光の口を通じて伝えられる不動尊のお告げは不思議によく中り、御利益あらたかであるとの評判が近隣にいつとはなく広がり、信光のもとに不動尊のお告げを求めて諸般の伺い事を持ち込む信者の数が増え、中には京都、豊橋等の遠方から相談に来る信者もあつた。

信光はかねてから堺市草部一四三八番地の三に宅地及び地上建物を所有し、右建物に弟子の小林妙海を居住させていたが、いずれ控訴人が結婚した折には控訴人と別居する心算であり、かたがた、羅漢寺は辺鄙の地にあつて遠方からの信者には交通に不便であるとの声もあつたため、控訴人に住職の地位を譲つた後は遠からず前記草部の建物に隠居して不動明王像も同所に移し、同所で祈祷の行をなすことを予定していたところ、たまたま昭和三四年の伊勢湾台風により前記建物が一部損壊したまま放置されていたので、信者の重岡明心及び田中武夫らから「被害復旧に籍口して信者から寄捨を募れば容易に集まるであろうから、右建物を新たに建て直したうえ同所に不動尊を祀つてはどうか」と勧められた結果右建物の建替えを決意し、同所に不動尊堂を建設するとの名目で昭和三七年初頃信者知人等から建築資金の喜捨を募り、その募金の事務は前記重岡、田中の両名が主な肝煎り役をつとめ、最終的には約七〇万円の喜捨が集まつた。信光は建築資金が全部集まるのをまたず大工に代金延払いの約で旧建物の取毀し及び本件建物の建築を請負わせ、資金の不足分は自己の費用をもつて賄い、昭和三八年二月本件建物の完成をみるに至つた。そこで信光は本件建物に移住し、六畳及び四畳半の二間を自己の居室にあてて、八畳二間を不動尊の祭杞用に供し、従来羅漢寺においてしていたのと同様、訪れる信者のため祈祷の行をなし、不動尊のお告げを伝えていた。

ところろで、羅漢寺及び本件建物に信者が来訪するのは、単に不動尊に参詣祈願しその功徳を称えることによつて安心立命の境地を得ることにあるのではなく、悩み事、相談事がある場合に信光に依頼して不動尊にお告げを伺つてもらうためであり、その祈祷の行は真光以外の余人をもつては替え難いものであつて、本件建物の建築資金を醵出した人々は、霊験あらたかな不動尊のお告げを伝える信光個人の法力に深く帰依する信者であるか、さもなければ同人と親しい間柄にある者であつた。

以上のとおり認められ、右の事実に照らすと、前記建築資金の醵出者らは、従来どおり信光から不動尊のお告げを伺つて貰うことを期待し、あるいは同人との付合い上の義理から、いずれも信光に同人の存命中祈祷の行をなす建物を取得せしめる目的をもつて各自本件建物の建築資金を信光に対し喜捨したものと推認するのが相当であり、右出捐は右の目的の達成という供述を定めてなした贈与に該当するものというべく、これらの人々が本件建物の共有持分を取得する意思のもとに、あるいは信光個人とは無関係に不動尊を永久に本件建物に祭祀することを直接の目的として信光にその管理を委託する趣旨のもとに、それぞれ前記金員の出捐をなしたものとは解せられないから、かかる資金により新築された本件建物は、建築の施主である真光の名実ともに個人的所有に属していたものと認むべきである。

(大江健次郎 近藤浩武 庵前重和)

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